2012年1月20日金曜日

1.19

今日は小学校であった研究発表会を見に行きました。

社会科の研究指定校なので、1,2年生は国語で3~6年生は社会の授業をしていました。
何かほんとに大々的で、えらい教授さんの講演もありました。

全部の学年が同じ時間にやってるので、どの学年見に行こうかなぁと思っていたのですが、教頭先生から4年生をおすすめされたので4年生を見に行きました。
教室に行くと、いきなり「こんにちはー!!!」と元気のいいあいさつ!
先生は緊張されてるようで、子どももちょっとそわそわしてて、子どもも「先生緊張してる」って気づいてる感じがちょっと微笑ましかった。
なんか良いクラスだなぁと思った。

宇治茶の伝統的な手もみ製法と機会製法についてでした。
学習課題は「なぜ今でも手もみの技術を残しているのだろう」。

授業も子どもがほんまに全員考えてノートに書いてた。
自分の考えがまだ正しく言葉に表せてない子も多いけど、それでも自分の中の考えを何とか言葉にしようとたくさん発表していました。
しかも、発表者の方にみんながみんな向く!
そんでそれに対して、付け足しがあります、違う意見があります、などなど口々に挙がる。

例えば写真を見て「気づいたことは~~で、そこから考えられることは~~です」って気づきと自分の考えを分けて考えるってこととか、発表の仕方はきっとしっかりやってきたんだろうな、と思った。

先生声小さいな、って思ったけど、場面場面の区切り方がうまかった。
指示はピリッと。

社会は子どもの現場を受けての子どもの考えを拾って事実と出会わせて更に考えってなるらしい。
わたしがこないが実習に行った時も社会の授業見てて思ったけど、子ども達の考えを拾って行くの難しい。
こちらの意図もあるわけで、こちらに中途半端なものしかないと子どもの意見がちりぢりになって結局何も得られなくなってしまうと思う。
子ども次第で落としどころが変わりえるし、何を使ってどう考えさせるか。

ていうことは社会もやっぱり大まかな答えは決まっているのか。
その答えはより公共性を持ったものに。
みたいなことを今日講演で聴いた。
社会科的なものの見方を初めて聴いた。

宇治茶のある農家では手もみ製法でも機械製法でもお茶の葉の量からできる茶葉の割合は同じ。
だけど、機械の方が短時間に大量のものができる。
その味は同じ。
なぜ手もみでも機械でも同じ味のお茶ができるのか。
今機械製法に頼っているけれど、茶葉の状態によって作業工程を変えるのには、茶葉の水分量や状態を手触りで探る必要がある。
その感覚は手もみ製法をしてないと分からない。

なぜ機械を使うのかは、より多くの人においしいお茶を飲んで欲しいため。
機械を使ってもおいしいお茶を作るためには手もみで培った感覚で茶葉の状態を確かめながら作業工程を進めていく必要がある。
機械でもおいしいお茶を作るためには手もみの技術がないと出来ない。
伝統を後々にまで伝えていきたいという生産者の思いと、おいしいお茶を多くの人に届けるための手もみと機械の折り合い。

みたいな落としどころでした。

深い教材理解なしに社会科とか恐ろしくてできない(理科でもだけど)。

授業後にそれを検討する分科会ってのがあって、席がなくてさりげなく一番前で聞いてたけど、色んな先生の意見が出ててこれもまた勉強になった。
同じことでも先生によって言葉の選び方が違ってて自分の中でしっかり内容が吟味されてるからなんだろうなぁって思った。

社会もちゃんとやったら絶対楽しいじゃない。
でも境界がなくて何でもかんでも広すぎるな。
その点理科は分かりやすくていい。
でも社会科的なものの見方ってのはもっと詳しく聞いてみたかったなー。

世の中のことって詳しくやっていったらほんとに何でもかんでもおもしろいんじゃないか、とかいう気がしてきた。
賢者タイムってやつかしら?
でも絶対興味なくておもしろくないこといっぱいあると思うけど。

社会も楽しいだろうなと思いつつ、でもやっぱり理科選んで良かった、と思うのでした。

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